金沢神社の周辺

ラジオ塔、太平洋戦争時の兼六園の姿を偲ぶ遺構

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ラジオ塔

これは、ラジオ塔です。

太平洋戦争時には、このラジオ塔から流れる放送で興亜体操や青年体操が行われていました。

あまり知られていないし、パンフレットにも載っていません。

場所はあえて書きません。梅林の近くにあるので、探してみましょう。

太平洋戦争時の兼六園内にはラジオ塔だけではなく、芋畑や麦畑が作られ、園内の銅像は鉄砲玉の原料として徴収され、松や杉は燃料として伐採されたり樹液を採取するために傷を付けられました。

終戦後、畑は撤去され梅や松が植えられて元の日本庭園として整備されましたが、ラジオ塔と樹木の傷は今も残されたままになっています。

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