旧津田玄藩邸
金城霊沢の向かいにある大きな武家屋敷が、旧津田玄藩邸です。
加賀藩1万石の重臣、津田玄藩さんのお家です。
高禄式武家屋敷と呼ばれる武家屋敷の門構えを見学できます。
建物の内部は兼六園管理事務所と園内作業員の休憩所として使われているので内部の見学はできませんが、正面玄関の周辺は見学できます。
龍が見下ろすサムライハウス
旧津田玄藩邸は、英語案内ではサムライハウスと案内されているので、武家屋敷とも呼ばれています。
もともとは金沢市大手町にあった加賀藩一万石の重臣、津田家の屋敷で、大正12年に現在の場所に移築したものです。
移築後、明治時代までは旧金沢医学館(医学学校)として使われていて、内部は移築後に何度も改装されて武家屋敷の面影は無く、ただの昭和の民家となっています。
正面玄関と屋敷の外観は改築されておらず、本物の武家屋敷のままです。
この遺構は、加賀藩1万石以上のお侍さんハウスでは唯一現存する建造物なので、平成3年に石川県の有形文化財に指定されています。
※貴重な遺構を保存するため、管理事務所の作業員は全員、正面玄関を利用せず、裏口を利用しています。
武家屋敷と言われてもなぁ・・どこら辺が?。と思う方はココをご覧あれ。
まず、豪商や豪農の屋敷では見られない厳つさ。玄関の上にいる龍の彫り物です。すんごい迫力。
虎ではなくて龍なのは、龍が水の神様で火除けのためでもあります。
武家屋敷の怖い伝説
津田玄藩邸の正面玄関に入ったら、格子天井を見上げてみましょう。
玄関に入って右端。天井の格子板に人の足跡があります。
お分かりいただけただだだだだ?。
ライトの右2つ隣の板に。
この足跡は、血染めの足跡と呼ばれています。
昔、この屋敷で刃傷沙汰があり、その時に床についた足跡とされ、二度と繰り返すことのないようにと戒めるために床板を天井に張ったもの、という話が伝わっています。
現在は足跡1コだけが見えますが、以前は足跡や手形がベタベタとたくさんあったので、「血天井」と呼ばれるようになったとか。
実際に刃傷沙汰があったかどうかの記録は無く、移築の際に床に置いた天井板を大工さんが踏んだのだろう、とのことですが・・。
津田家の家紋、カタバミ
玄関の屋根瓦にある家紋を見てみましょう。
カタバミ紋です。
カタバミという草は、日本中どこにでも生えている雑草です。
なぜ雑草なんかを家紋にしたのか?。
カタバミは、種子の入ったサヤを弾いて種を撒き散らすという鬼のような繁殖力を持つ草なので、子孫繁栄にあやかって家紋とする家が多かったのです。
跡継ぎがなければ御家断絶された武士としては子孫繁栄は切実な願いだったのです。
旧津田玄藩邸の庭も見てみよう
旧津田玄藩邸の庭には、取り替えられた辰巳用水の石管が野ざらしになって転がっています。
ごろん。いいのか?。