兼六園の歴史

兼六園の四亭、四つのあづま屋はどこに?

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兼六園の四亭(よんてい)

兼六園の四亭とは、十一代藩主、前田治脩(はるなが)が、焼失した蓮池庭の復旧にあたり、1774年頃に作った4つの御亭(おちん)のことです。

御亭(おちん)とは、中国語であずま屋のことです。

夕顔亭(ゆうがおてい)

お茶室になっている夕顔亭は四亭の一つです。

ひさご池にある夕顔亭は、作られた240年前と同じ場所に建ち、建物も当時のまま保存されています。

夕顔亭は築240年。

高之亭(たかのてい)はどこに?

高之亭は、別名、時雨亭(しぐれてい)とも呼ばれます。

高之亭は噴水の前に建てられていましたが、版籍奉還の際に取り壊され、御亭のあった場所だけが、噴水前にある「時雨亭跡」として残っています。

高之亭(時雨亭)があった場所。

現在の兼六園にあるお茶室の時雨亭は、名前を頂戴して近年作られたものです。

内橋亭(うちはしてい)

霞ヶ池に突き出している建物、内橋亭も四亭の一つです。

内橋亭は建物は当時のままですが、場所が変わっています。

元々は江戸町(堤亭のある場所)にあったとされています。

明治時代に霞ヶ池に移築し、現在、霞ヶ池にある内橋亭となって残っています。

場所は変わっても、建物は当時のままの内橋亭。

舟之亭(ふなのてい)はどこにある?

舟之亭は、ことじ灯籠の周辺にあったとされるナゾの御亭で、壁の無いあずま屋だったということしか分かっていません。

梅林にある「舟之御亭(ふなのおちん)」は「舟之亭」が名前の由来となっています。

梅林の舟之亭。舟之御亭もこのような姿だったのでしょうか?。

舟之御亭は、かつて石川県内の漁師町ならどこにもあった船小屋に似せて造られていた、とも言われています。

案内人
案内人
船小屋とは、台風や荒波から漁船を守るため、漁に行かない時に漁船をしまっていた陸地に建てられた小屋のことです。
数は少なくなりましたが、今でも能登の一部で見ることができます。

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