金沢神社の周辺

金沢神社、加賀藩の鎮守から竹沢御殿の鎮守へ

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金沢神社

随身坂(ずいしんざか)の料金所から兼六園を出ると、石の鳥居があり、奥に朱塗りの社殿があります。

学問の神様、天神様こと菅原道真(すがわらのみちざね)公を祀る、金沢神社です。

1794年に十一代藩主、前田治脩(はるなが)が加賀藩の学校(明倫堂と経武館)の鎮守として建立したのが始まりで、のちに竹沢御殿の鎮守とされたため、竹沢天満宮、竹沢天神と呼ばれていました。

明治になってから金沢神社に改称されています。

竹沢御殿の鎮守だった神社

金沢神社は、竹沢御殿の鎮守とされていたため、竹沢天満宮、竹沢天神とも呼ばれていました。

天神様とは菅原道真公のこと。
前田家の家紋は梅鉢紋で、菅原道真公とは梅つながりですし、前田家の祖先が菅原道真公だということで、祀ったのでしょう。

案内人
案内人
菅原家と前田家とは祖先子孫の関係は無いと言われています。戦国時代、好き勝手に家系(バックボーン)を捏造することは、家臣の指揮を上げたり、他の武将達への情報操作の一つだったのです。

菅原道真公と梅の話

菅原道真公が京の都から福岡の大宰府に左遷された折に詠んだ歌が以下です。

「東風(こち)吹かば、においおこせよ梅の花、主なしとて春を忘れそ」

春の風が吹いたら、(大宰府に香りが届くほど)咲いておくれ、私がいなくても、春を忘れないで。という詩です。

案内人
案内人
讒言(ざんげん)によって左遷された道真公は京の都へ帰ることかなわず、無念のうちに大宰府で没してしまいます。しかし日本一の怨霊となって大暴れ。神様として祀られることで京都へ迎え入れられ、ようやく祟りは収まった、とされています。

金沢神社には神様がいっぱい

金沢神社には、学問の神様・菅原道真公以外にも、
十一代藩主、前田治脩(はるなが)、十二代藩主、前田斉広(なりなが)、白ヘビ、金比羅神社、稲荷神社、板屋兵四郎が祀られています。

たくさん奉られた神様のうち、白ヘビはただの白い色のヘビではなく、耳の生えたヘビ(らしい)。

御神体は、白ヘビの姿が描かれた絵で、中国、重慶の山奥にすむ「白華蛇(はっかだ)」というヘビの絵です。

加賀藩の奥方は火の用心の神様として、白ヘビの絵の刷ったものをお札にしていたといいます。

園内でいちばん静かな場所

金沢神社周辺は、いちばん混雑する金沢城跡公園の近くからもっとも遠い場所にあります。

観光コースから外れているので、土日や祝日で園内が混んでいても、金沢神社周辺は静かです。

兼六園から出ちゃったような場所ではありますが、離れていてもれっきとした兼六園の中なのです。

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