時雨亭跡
噴水の前に「時雨亭跡」という立て看板だけがポツンとある空き地があります。
時雨亭跡。由来の説明もなく、看板だけがポツン。
時雨亭跡の由来
時雨亭跡は、五代藩主、前田綱紀(つなのり)が「蓮池御殿(れんちごてん)」という別邸を作り、貧民救済のための執務を行った場所です。
蓮池御殿は後に大火で焼失してしまい、以降、建物などは作られず、更地になっていました。
五代藩主、前田綱紀(つなのり)は、加賀藩随一の名君として尊敬されていたため、以降の藩主は遺徳を偲び、更地にして建物を作らなかった、とのことです。
十一代藩主、前田治脩(はるなが)になってから、長らく空き地となっていた蓮池御殿の跡を整備すべく、跡地に「高之亭(たかのてい)」(別名、時雨亭)が作られました。
高之亭では、執務を行うだけでなく、幕府からの重臣を招いて茶会や月見が行われ、庭からの眺めを楽しんだ、といわれています。
版籍奉還の際、高之亭は惜しまれつつ取り壊され、現在の更地になりました。
以降、五代藩主と十一代藩主の遺徳を偲んで『時雨亭跡』として空き地のまま残されています。
空地ですが、庭木として植えられていたカエデやしいの木は当時のままだそうです。
※現在の兼六園にあるお茶処の「時雨亭(しぐれてい)」は、2000年に建てられたもので、残っていた資料を基に高之亭を再現したものです。有料でお茶がいただけます。