地蔵堂
千歳台の松林に地蔵堂がポツンとあります。
この地蔵堂は、十二代藩主、前田斉広(なりなが)の枕跡(まくらあと)に建てられたものです。
枕跡とは?
枕跡(まくらあと)というのは、亡くなった場所、という意味です。
地蔵堂は、十三代藩主、前田斉泰(なりやす)が作ったもので、父である十二代藩主、前田斉広(なりなが)の威徳を偲び、枕跡を踏まないように、ということで作られたものです。
十二代藩主が、松林の地面の上で亡くなったわけではなく、千歳台一帯には、かつて、竹沢御殿というお屋敷が建てられていて、地蔵堂のあるあたりが寝所だったです。
寝所から見える築山として作られたのが現在の七福神山周辺で、病の床から七福神山を眺めていたのかもしれません。
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竹沢御殿と兼六園
地蔵堂の中には・・
地蔵堂の中には、石のお地蔵さんと、もうひとつ、
十二代藩主、前田斉広(なりなが)の正室であり、十三代藩主、前田斉泰(なりやす)の母である真龍院(しんりゅういん)が、江戸の加賀屋敷で偶然掘り出した石仏が納められています。
夏に行われる地蔵堂祭り
年に一度、地蔵堂の前に祭壇が作られ、地蔵堂祭りと呼ばれる行事が行われます。
金沢神社の神主さんと、兼六園の関係者全員が地蔵堂の前に集まり、作業員の安全や、出店の商売繁盛を感謝するものです。
一般の観光客は参加できませんが、見ることはできます。