霞ヶ池の周辺

ことじ灯籠(徽軫灯篭)、庭師の心意気と二本足の灯篭

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ことじ灯籠、徽軫灯篭(ことじとうろう)

ことじ灯籠は、霞ヶ池にある2本足の灯籠です。

お琴の糸を支える柱「徽軫(ことじ)、琴柱(ことじ)」に似ているので、ことじ灯籠と呼ばれます。

高さは1mほどで以外に小さいので、どこにあるのか分からず、見逃して通り過ぎる人も。

霞ヶ池のお琴3点セット

ことじ灯籠が、お琴の糸を支える琴柱(ことじ)。

虹橋がお琴の本体です。

もう1つは?。

虹橋の下を流れる曲水の音が、琴の音。で、お琴3点セット、という演出なのです。

ことじ灯籠の足の秘密

兼六園にたくさんある灯篭のうち、二本足の灯篭はことじ灯籠だけです。

灯籠の足の一本は短くなっていて、石に乗っかっています。

折れた足の先は、足元に残されています。

足の長さが違うことじ灯籠の美しさは、不均衡の美などと言われていますが、最初から一本短く造られて設置されたのではないのです。

ことじ灯籠の由来

ことじ灯篭は、粟ヶ崎(あわがさき:金沢市粟ヶ崎町)の豪商、島崎氏が、十三代藩主、前田斉泰(なりやす)に献上したものです。

岡山県産の石で作られていて、その時のことじ灯籠の足は2本とも同じ長さでした。

いつから足が一本短くなったのか、なぜ短くなったのかは、不明なのです。

だるま
だるま
少なくとも明治初期までは同じ長さだったようです。

台風で倒れて折れた灯篭を、誰かが起こして石に乗せたとか、誰かが寄りかかって倒し、折れてしまったとか、諸説あります。

修復されたことじ灯籠

昭和40年頃、ことじ灯籠は何者かに壊されています。

火袋(ほぶくろ:火を灯す場所)が粉々に砕け、無残な姿に。

当時の管理事務所は壊れた灯篭を捨て、新しいものに取り替えることに決めたものの、
先祖代々の兼六園のお抱え庭師、植村氏が頑として反対し「この(壊れた)ことじ灯籠でなければならん」と、壊れた灯篭を京都の職人の元に運び、修復してもらったといいます。
京都の職人さんは、粉々になった火袋を張り合わせて直したそうですが、継ぎ目やズレなどはまったく見えないほどの素晴らしさです。

園内の橋や植物は2代目がけっこう多いのですが、石は風雪に晒されて削れ、植物には寿命があります。

江戸時代の殿様が見ていたものと同じままの初代は、どんどん少なくなっていくのは、哀しいかな自然の理です。

庭師の植村氏は、ことじ灯籠は兼六園のシンボル的な存在なので、2代目ではなく当時のままの、本物のことじ灯籠として少しでも長く残したかったのでしょう。

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